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「俺が思うに、舞はもうちょっと交友範囲を広げるべきなんじゃないか?」
 祐一が唐突にそう言った。
 放課後、学校からの帰り道。佐祐理、舞、そして祐一の三人は、校舎という名の牢獄に閉じ込められ、授業と呼ばれる拷問を耐え抜いたのちに、それらから解放されて商店街へと繰り出しているところだった。
 冬の太陽は既に西へと傾き、辺りは黄金色に染められている。それが闇へと変わるのも、そう先のことではない。
「ふぇ……交友範囲、ですか?」
 佐祐理は首を傾げた。
「そう。舞って、なんか俺達以外の人間とはあんまり関りを持たないだろ? それがまずいと思うんだ。
 ちょっと前に署名を集めたときも、舞のためってより佐祐理さんの人徳によるところが大きかったからな。やっぱりああいう時には、舞本人の友達が大勢いた方が心強い」
「そうかもしれませんね」
 佐祐理は祐一の言葉に同意しながらも、多少の動揺を心の奥で感じていた。
 舞の唯一の友人として彼女を庇い続けてきたこと。それが結果的に舞を孤立させることになってしまったのではないか。無論、祐一がそんなつもりで言ったのではないことを佐祐理は理解している。それは佐祐理の内に以前からあった不安だった。
 佐祐理のそんな葛藤も知らず、舞は前を向いたまま呟いた。
「……面倒だからいい。私は佐祐理と祐一がいれば十分」
「またお前、引っ込み思案なことを……。だから誤解を受けるんだぞ。
 俺の居候先のいとこなんてどうだ? 素でボケてるとこがあるが、根はいい奴だ。もしかしたら天然同士、気が合うかもしれんし」
 なおも食い下がる祐一を、舞は首だけ動かして見つめた。
「そう言う祐一は、交友範囲が広いの?」
「うっ……。い、いいんだよ俺は。転校してきたばっかりだし、クラスの奴らとは上手くやってるんだから。それより今は、お前の……」
 珍しく鋭い舞の指摘にたじろいだ祐一は、反論しようとしたときにその人影に気付いた。
 彼等の行く手に現れたのは、一人の少女だった。黄昏色の光に包まれ、どこか幻想的な雰囲気を醸し出す景色の中、少女が口を開く。
「祐一君」
「おっ、あゆか。なんか久しぶりって感じだな。元気だったか?」
 少女――月宮あゆは、祐一の声を聞いて顔をほころばせた。しかし、いつもの底抜けに明るい表情とは異なり、どことなく翳を帯びている。
 普段とは様子の異なるあゆを、祐一は訝しんでいた。そのため、自分の隣で舞の目が鋭く細められたことに気付かなかった。
「どうした? なにかあったのか?」
「あ、ううん。あのね、探し物が見つかったんだよ……」
「ああ、例の捜し回ってたアレか。良かったじゃないか」
「うん。それでね、ボクもうこの辺りには来られなくなるんだ。理由がなくなっちゃったから」
 そう囁くように言って、あゆは微笑んだ。それはどこか儚げな笑みだった。
「そうか、そりゃ寂しくなるな。でも別に、理由がなくても遊びに来たって構わないんじゃないのか?」
 あゆの『理由』も知らず、祐一はそう口にした。あゆはその言葉を聞いて、困ったように俯く。
「それは……」
 そんな二人の間に、唐突に割って入る人影があった――舞である。
「なんだ、舞?」
 舞は祐一に背を向けたまま、あゆを睨みつけた。その強い視線に、思わず身を竦ませるあゆ。
「……祐一を、どうするつもり?」
「どうって……」
 脅えと戸惑いを見せながら、あゆが問い返した。祐一は舞の肩を掴んで言った。
「おい、何なんだよ? あゆが恐がってるだろ」
 しかし舞はびくともせず、祐一を庇うように立ちながらあゆに告げた。
「祐一を、連れていくつもりなの?」
 その言葉に、あゆは凍りついた。目尻に涙が浮かぶ。
「ち、ちが……。ボクそんなつもりじゃ……」
「あの……舞? 祐一さん?」
 事情がさっぱり分からず、佐祐理は二人の友人と見知らぬ少女へ交互に視線を走らせる。
 分からないという点では祐一も同じだった。舞を押しのけてあゆに近寄ろうとするが、その体は微動だにしない。
「おい、何を泣かせてるんだ、舞! どけったら……」
「ごめんなさい。ボク……そんなつもりじゃ……」
 あゆの目から涙がこぼれ落ちる。
 祐一と佐祐理は目を見張った。こぼれた涙の雫が宙で砕け、無数の光の粒となって少女を包み込んだのだ。そしてあゆの姿はすっと薄くなり、向こう側が透けて見えた。
「なっ!? あ、あゆっ!」
「ごめんなさい……ただ、ボクはお別れを言うために……」
 涙声を残してあゆの姿は薄れ、完全に消えてしまった。しばらく舞っていた涙のかけらも、やがて光を失い、後にはなにもない空間が残されるのみだった。周囲に人影はなく、彼等以外にその異変に気付いた者はいない。
 佐祐理は呆然と少女の消えた場所を見つめ、友人に問いかける。
「ま、舞? 今の女の子は……」
 どさり。
 佐祐理の隣で、何か物が地面へ落ちる音がした。佐祐理が目をそちらに向けると、祐一の手から落ちた鞄が雪の残る石畳の上に転がっていた。
 祐一がわなわなと体を震わせ、呆然とした様子で呟く。
「思い出した……。俺は、なんでこんなことを忘れて……」
 そのただならぬ様子に、佐祐理は祐一を気遣って声をかける。
「祐一さん?」
 祐一はそれには反応せず、空ろな足取りで歩き始めた。そして、すぐにそれは駆け足へと変わる。
 自分達を置いて走り出した祐一の背中に、佐祐理は叫んだ。
「祐一さん! どうしたんですか?」
 応えはなかった。
 その態度が今しがた目の前で消えた少女と何か関係があることだけは分かったものの、佐祐理はどう反応していいのか分からず、混乱していた。そこへ、彼女の親友が声をかけた。
「……佐祐理、祐一を追いかけて」
「えっ、あの……。舞は何か知ってるの?」
 戸惑う佐祐理に、舞は首を左右に振る。
「詳しい事情は分からない。でも、祐一は佐祐理の助けを必要としていると思う。鞄は私が預かっておくから」
 一瞬の逡巡の後、佐祐理は頷いた。決心すると、彼女の行動は早い。
「ごめんね、舞。すぐ戻るから」
 舞はこくりと頷くと、佐祐理から鞄を受け取った。佐祐理はすぐに走り出し、祐一の後を追う。
 二人の姿が見えなくなるまで見送ると、舞は地面に落ちていた祐一の鞄も拾い上げ、周囲を見渡した。そして、ある方向へ視線を向けると、そちらに向かって足を踏み出した。

 祐一は取り憑かれたかのように、がむしゃらに走っていく。
 佐祐理も決して足は遅い方ではないが、それでも祐一の姿を見失わないでいるのがやっとだった。息が切れ、声をかけることもままならない。
 常緑樹の並ぶ遊歩道を抜け、祐一は街中を外れて郊外へ向かっていた。行く手には、木々の鬱蒼と茂る森。佐祐理が足を踏み入れたことのない場所だ。
 次第に近づく夕闇の気配に不安を覚えながらも、青いジャケットの背中を佐祐理は追いかけ続けた。

 舞が辿り着いたのは、駅前の広場だった。
 左手に自分の鞄、右手に佐祐理と祐一の鞄を持ち、舞はそこに置かれたベンチを見つめた。そして唐突に口を開く。
「さっき脅かしてしまったこと、謝りに来た。……ごめんなさい」
 雪のうっすらと積もるベンチの上には、誰もいない。にも関らず、舞は言葉を続けた。
「……私も、普通じゃないから」
 通行人達が不審そうに、そんな舞を盗み見る。
「やだ、なにあれ?」
「気持ち悪ーい」
 舞と同じ制服を着た女生徒達が、聞こえよがしにそんな台詞を口にした。けれども、舞は彼女らを一顧だにしなかった。そもそも、その声は意識に上ってすらいない。
「謝るのは私のほう。注意すれば、悪意のないことはすぐに分かったはずだった」
 口調は相変わらず無愛想なものの、その態度はいつもとは少しだけ異なっている。それは祐一や佐祐理のような親しい人間に対するものとも、その他大勢を相手にするものとも違う、舞が持つ別のペルソナだった。
「ずっと、ここで待っていたの?」
 舞は見えない相手とのやりとりを続ける。
 それが滑稽に見えることを知らず、仮に気付いたとしても意に介さない。舞はそういう少女だった。
「……そう」
 舞は頷いて、ふと視線を上げた。
 空には沈みゆく太陽と、オレンジ色に染められた雲が浮かんでいる。日没が近づいていた。
「私も、待っていたのかもしれない」
 ぽつりと、独白のように舞が呟く――他者から見れば、それは紛れもない独り言ではあったのだが。
「私も、同じようにずっと祐一を待っていたのかもしれない。だとしたら……それはもう、終わりにするべき」
 視線をベンチに戻して、舞は見えない相手に告げた。
「私はもう行かなきゃならない。
 あなたもここを離れた方がいい。長くとどまり過ぎると、縛られるから」
 そして、舞は踵を返した。左右の手に持った鞄も気にかけず、まっすぐな足取りで来た方角へと引き返していく。
 舞の目指す先は、彼女が連日深夜に訪問している場所――学校だった。

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