2003-12-07 by Manuke

 倉田家の朝食は、今日も静かだった。
 冬の朝日が、ガラス越しに低い角度でダイニングルームに差し込んでいる。窓から見える庭は雪が降り積もり、池には分厚い氷が張っていた。
 光景こそ寒々しいものの、屋内は充分に温められている。
 けれども、佐祐理はこの場に温もりを感じられなくなって久しい。
 テーブルには父である倉田和臣と、佐祐理の二人が着いているのみだった。母、雅子は後援会の関係で長期に家を空けていた。あとは家政婦が一人、賄いのため後ろに控えている。
 二人が口にしているものは、ショウガを添えた寒鰤の照り焼きに、ほうれん草のおひたしなど、ごく普通の和食だった。派手でこそないものの、食材には贅を凝らした料理である。
 しかし、父と娘は何も言わず、黙々と箸を進めていた。
 そもそも、忙しい身である和臣が佐祐理と食事を共にする機会はそう多くない。意識的に和臣がそれを避けているフシすらあった。雅子が同席しないこともあって、その場にはかなり気詰まりな雰囲気が漂っている。
 一足先に食事を終えた和臣が、湯呑みを手に取って茶をすすった。そのまま、何をするでもなく窓の外を眺めている。雪と氷で覆われた庭は凛とした美を湛えてはいたが、物珍しさはないのにも関らず。今の時期、この街はどこへ行っても白一色だった。
 やがて佐祐理も箸を置き、「ごちそうさまでした」と呟いた。和臣がそこへ声をかける。
「……佐祐理」
「なんでしょうか、お父様?」
「お前も、もうすぐ卒業だったな」
 今は一月の下旬。佐祐理が卒業式を迎えるまで、あと二ヶ月もなかった。
「はい」
 そこでまた、会話が途切れた。
 佐祐理は少し首を傾げ、それから湯呑みを手にする。一口含むと、宇治玉露の香りが口の中に広がり、後にほんのりとした甘みを残した。
「……小耳に挟んだんだが、何やら学校でやっかいな揉め事に巻き込まれているそうじゃないか」
 おずおずと続けられた和臣の言葉を聞いて、佐祐理は表情を引き締め、湯呑みを置く。
「……」
「もし、何か手助けが必要ならば、私の方から……」
 佐祐理は和臣の言葉を遮って答えた。
「いいえ、お父様の手を煩わせるほどのことではありません。それに、これは佐祐理の問題ですから」
 穏やかな口調ではあったが、それはきっぱりとした拒絶だった。
「そうか……そうだな」
 和臣はそう言って口をつぐむ。
 いつの頃からか、和臣は佐祐理に対して強く言うことがなくなっていた。文字どおり、それは腫れ物を触るような態度である。
 表面上、二人がいがみ合う様子はなかった。平均的な同世代の親子と比較すれば、無理強いをしない父親と礼儀正しい娘の関係は、良好にすら見えるだろう。
 けれども、そこには確かに溝があった。
 むしろぶつかり合うことがないという状態こそが、関係修復を困難にさせている。それを双方ともに理解していた。
「お父様、佐祐理はそろそろ学校へ行きますね」
 そう言って、佐祐理は席を立つ。
「……ああ、気をつけて行きなさい」
「はい。行って参ります」
 佐祐理は父親に挨拶すると、傍らの家政婦に軽く頭を下げて、ダイニングルームを辞した。
 ドアがぱたりと音を立てて閉じられたとき、その内と外で同時にため息が漏れたことに、しかし気付くものはいなかった。

手探りの旅人達
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